戦後「政教分離」という手枷足枷をはめられることになったのは、それまでの「罪」の結果としての「罰」ですが、本来「政」は「祭」であり「祀」であり「奉」てあって「分離不可能」なものであるということは、日本のみならず世界中どこを見ても、また21世紀の今になっても変わりはありません。その証拠に、わが国に「枷をはめた」国であるアメリカだって大統領の就任式の際に聖書に手を置いて「神に誓う」ぐらいですから。
日本には菅原道真や平将門などの「祟り神」を祀る、という精神文化=霊性が色濃くあります。
先の大戦で亡くなった多くの英霊たちを祀るのも、その「祟り」や「荒ぶる御霊」に鎮まっていただくためだといっていいでしょう。
だから「A級戦犯」という「荒ぶる御霊」たちを鎮めるどころか一層荒ぶらせてしまうような人々を「合祀」してしまったことで、結果として天皇陛下は参拝をその後一切行われなくなり、戦前に日本の植民地とされるなどして被害をこうむった国々は一斉に批難を始めました。
天皇陛下は戦後一貫して、たとえ卵を投げつけられようとも、戦時下において自らを主神とする「国家カルト」の犠牲となった自国民、諸外国のために「鎮魂」の行脚を続けておられるのです。そしてその行脚が続けられている限りは、いくらおバカなセイジカやコクミンが過去を忘れた愚かな振舞いをしようとも「悪しきカルマ」の発動は抑えられ、その愚かさが作り出した新たな「カルマ」の清算も先延ばしにされています。
しかし、今後「もういい加減禊は済んだだろう」とか「そもそも鎮魂しなければならない祟りの原因をわれわれは作らなかったではないか」とか言いだして「鎮魂行脚」が中止されたとたんに、これまでに積み上げた「悪しきカルマ」は一挙にこの国を襲い、凄まじい「カルマの清算」が始まることになるでしょう。
「何時までも忘れない」ことが死者への唯一の供養であり、また過去のあやまちを繰り返さないという「カルマからの解脱」への道でもあります。
それがゆえに菅原道真、平将門、あるいは出雲大社など、千年以上の長きにわたって「鎮魂」のための祀りが続いているというのに、たかだか六十年で「禊は済んだ」などとどうして思えるのでしょうか?
そのような「死者を冒涜する行為」によってもたらされるであろう「祟り」を、私自身に潜む「日本的霊性」は深く畏れずにはいられないのですが、今、そのような「日本的霊性」を失った人たちがどんどん増殖し、「あの神社」をいいように弄んでいることに、「カルマ発動」への大いなる危機感を覚えます。
なぜ天皇陛下が合祀後一度もあの場所へ行かれていないのか、もうすでに忘れられた感のある「富田メモ」ですが、あの場所をいいように弄んでいる「日本的霊性の欠如した」方々にぜひもう一度「日本的霊性」を取り戻していただきたいと切に願わずにはいられません。それとも元々「日本的霊性」など持ち合わせていない「外国の方」ですか?
日本には菅原道真や平将門などの「祟り神」を祀る、という精神文化=霊性が色濃くあります。
先の大戦で亡くなった多くの英霊たちを祀るのも、その「祟り」や「荒ぶる御霊」に鎮まっていただくためだといっていいでしょう。
だから「A級戦犯」という「荒ぶる御霊」たちを鎮めるどころか一層荒ぶらせてしまうような人々を「合祀」してしまったことで、結果として天皇陛下は参拝をその後一切行われなくなり、戦前に日本の植民地とされるなどして被害をこうむった国々は一斉に批難を始めました。
天皇陛下は戦後一貫して、たとえ卵を投げつけられようとも、戦時下において自らを主神とする「国家カルト」の犠牲となった自国民、諸外国のために「鎮魂」の行脚を続けておられるのです。そしてその行脚が続けられている限りは、いくらおバカなセイジカやコクミンが過去を忘れた愚かな振舞いをしようとも「悪しきカルマ」の発動は抑えられ、その愚かさが作り出した新たな「カルマ」の清算も先延ばしにされています。
しかし、今後「もういい加減禊は済んだだろう」とか「そもそも鎮魂しなければならない祟りの原因をわれわれは作らなかったではないか」とか言いだして「鎮魂行脚」が中止されたとたんに、これまでに積み上げた「悪しきカルマ」は一挙にこの国を襲い、凄まじい「カルマの清算」が始まることになるでしょう。
「何時までも忘れない」ことが死者への唯一の供養であり、また過去のあやまちを繰り返さないという「カルマからの解脱」への道でもあります。
それがゆえに菅原道真、平将門、あるいは出雲大社など、千年以上の長きにわたって「鎮魂」のための祀りが続いているというのに、たかだか六十年で「禊は済んだ」などとどうして思えるのでしょうか?
そのような「死者を冒涜する行為」によってもたらされるであろう「祟り」を、私自身に潜む「日本的霊性」は深く畏れずにはいられないのですが、今、そのような「日本的霊性」を失った人たちがどんどん増殖し、「あの神社」をいいように弄んでいることに、「カルマ発動」への大いなる危機感を覚えます。
なぜ天皇陛下が合祀後一度もあの場所へ行かれていないのか、もうすでに忘れられた感のある「富田メモ」ですが、あの場所をいいように弄んでいる「日本的霊性の欠如した」方々にぜひもう一度「日本的霊性」を取り戻していただきたいと切に願わずにはいられません。それとも元々「日本的霊性」など持ち合わせていない「外国の方」ですか?